この世でたった2つの宝物

名探偵コナンのあれこれ

工藤新一と毛利蘭が“恋人”になった今、感じる「時計じかけの摩天楼」の力強さと幸福感

劇場版名探偵コナンの数ある作品の中で僕の個人的な好みで言うと「瞳の中の暗殺者」なんだけど、結局これも最強じゃんってなるのが「時計じかけの摩天楼」

2つとも共通して言えるのが「殺人ラブコメ」というジャンルにおいての象徴的な作品で殺人は殺人、ラブコメはラブコメだと意味がなくて殺人の中にラブコメが絡んでるあたりとそのバランスが絶妙。初期のこだま監督の作品は基本的にそこが上手いんですけど中でもこの2つが抜きん出てると思うんです。

この作品の大きなテーマって「時間」で、タイトルから連想されるシーンはあの最後の3分間。あと、時計で連想されるのは爆弾のタイマーあたりだと思うんですけど個人的にキャラクターそれぞれの「時間」に対しての向き合い方、価値観が1番描かれているんじゃないかな?

例の「赤い糸は…」っていうセリフは毛利蘭の圧倒的ヒロイン力に全人類おちると思うんですけど(異論は認める)序盤から続いた「正義」と「悪」の戦いの落とし所が少女の乙女心ってもう…僕はそういう世界観が好きだし、某曲じゃないですけど最後に勝つんだなって。。

この最後の爆弾解体シーンの良さって新一の「切れよ……死ぬ時は一緒だぜ…」の一連のセリフ前後での毛利蘭の心情の変化だと思うんですけど、「ハッピーバースデー、新一」の時点では「もう言えないかもしれないから」って表情含めて一瞬弱気なんですよね。
ただ、その言葉を受けた時の彼女の表情と、最後に言ったセリフが「つながっているかもしれない」ってめちゃくちゃ前向きというかまだ見ぬ未来に対して夢を持ってるんですよ。言わば希望的観測なんですけど、生死を分けるあの局面で未来に対して希望とか夢を持つってただ生きたいと思うことよりも力強くてこれからも刻まれていくであろう「時間」に対して真っ直ぐで素直な感情だと思うんです。

その上で爆弾のコードを「赤い糸」と比喩したのがすごく好きで、爆弾解体においての「切る」行為ってタイマーを止める為でそれって「時間」を止める事なんですよね。この2択ってタイマーか人生どちらかの時間が止まってもう一方は動き続ける(爆発する)。
そこで爆弾のタイマーと天秤に掛けたのが新一との未来って…彼女にとって「切りたくなかった」=止まってほしくない動き続けてほしい時間の中に夢見たのが赤い糸であって「愛」なんですよ。
彼女はこれからの自分の人生で訪れるであろう「愛」に希望を持った人間なんです。

ここが森谷帝二との圧倒的な違いで、小五郎が蘭を助けに行こうとした時に彼は自分の作った建築はおろか人生においても「愛」は必要ないと言った人間です。彼が自分の美学に反した建築を破壊できるのはそこに「愛」がないからで、人生においても同じ考え方なんですよね。
あの“3分間”を残したのは、蘭がこの日を楽しみにしているのを間近で見ていながらの行為なので「恋心」を利用した悪意ある仕掛け。
そして過去に自分が作った建築を爆破する行為はその全てをなかった事に…今を生きるどころか過去の「時間」に囚われて生きているんです。

「まだ見ぬ愛を信じて未来の自分に希望を持った」人間と、「愛は必要なく過去の自分に囚われた」人間のどちらに神様が微笑むのかって話ですよ。

この蘭の「もう言えないかもしれない」→「繋がっているかもしれない」という力強い思考にさせたのは紛れもなく新一の言葉で、それが出来るのは彼が誰よりも「今」を生きてるからだと思うんです。
いつだって目の前の「謎」に対して真摯に向き合う人間で…あの場面で真っ直ぐに覚悟を持った言葉を伝える事がどれだけ蘭に勇気を与えたか。。
赤い糸が繋がっていてほしいと思ったのは蘭だけどそう願わせたのは新一の言葉ってのが重要なんじゃないかな。いつだって蘭が迷った時、弱くなった時に言葉を…手を差し伸べてあげるのは新一で、それを自分の力に変えられる蘭っていう2人の関係性が僕は大好きです。

この作品は一貫して「爆弾のタイマーを止める」事がポイントなんですけど、人生においての「時計の針」は止めちゃいけないんですよ。
そこを止めてしまった森谷帝二が犯罪者として地上から爆発しなかった事実をただ呆然と見上げる事しか出来なかった一方で毛利蘭があの場所に立ち続け歓喜の中にいたのが全てを物語ってるというか…
未来への時計の針を刻もうとした人間にしか高い場所(摩天楼)からの幸せな景色は見れないんじゃないかな。

あと、これは個人的な解釈なんですけど、新一と蘭にとっての「赤い糸」は携帯電話…電話とかメールそのものだと思うんです。もちろん一般的にもまだ付き合っていない男女や恋人にとっても大事なツールなんですけど、この2人にとってはより特別かなって。公衆電話と事務所の電話から始まって、2人が離れた後に唯一繋げてくれていたもの。(物理的な意味で)連絡を取れた嬉しさとか、声を聞けた喜びもあれば「会えない切なさ」とか「言えないもどかしさ」を1番感じるのもこの瞬間だと思うんです。その「切なさ」も含んだ携帯電話だからこそ付き合ったっていう「嬉しい」事を確認し合う2人に意味があるというかやっぱり象徴的なもの。

修学旅行アニメの追加シーンでその携帯電話を眺めて浮かれたり大事そうに握りしめた蘭を見たときに、映画と原作、アニメの違いはあるけど彼女があの時に願ったのはこれなんじゃないかなって…

2人を結んでくれた“赤い糸